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大光院(だいこういん)は愛知県名古屋市中区大須にある曹洞宗の寺院。山号は興國山(こうこくさん)。 == 歴史 == 慶長8年(1603年)、尾張国春日井郡清須に清善寺(せいぜんじ)として創建された。開山の明嶺理察は武蔵国埼玉郡忍(現・埼玉県行田市)の清善寺6世で、松平忠吉は清須城に移ると、城下で廃寺となっていた雲門寺を再興するにあたって明嶺を招き、寺号を清善寺として〔日本名刹大辞典、P.545〕、当寺も忍清善寺の末寺となった。 忠吉が慶長12年(1607年)に没すると明嶺が授けた忠吉の法名・大光院を取って寺号を改め〔、慶長15年(1610年)の清須越で愛知郡日置村(現・大須2丁目)に移転〔、 山号を日置山としたが元禄年間(1688年 - 1704年)には興國山へと戻している〔大日本寺院総覧 下巻、P.1373〕。享保19年(1734年)6月には火災で山門を含めて焼失〔、諸堂が再建されたのは安永8年(1779年)であった〔。文化5年(1808年)には烏瑟沙摩明王の別殿として明王殿が建立され〔、腰部の疾病に霊験があるとして女性の参拝が多く〔、その様子は「尾張名所図会」などにも描かれた。 安政年間(1854年 - 1860年)になると大光院の西側、大須観音や清安寺の墓地に囲まれた通称「北野新地」に旅役者のための宿が作られたが、やがてここに遊女が置かれるようになって事実上の遊廓となった。遊女の外出先として大光院への参拝を許していたことから、縁日には遊女も多く訪れて賑わった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大光院 (名古屋市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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